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INTRODUCTION
イントロダクション
スマートフォンはペンのようなもの。伝えるために、誰でも使える最新のツールだ。 戦争が起きると、誰のせいかと探し始めて、誰かのせいにして終わってしまう。 安心して暮らしたいと願う人々の、その声をただ伝えるために映画を作ったのだ。
    モフセン・マフマルバフ
イランの巨匠 モフセン・マフマルバフ監督率いる “マフマルバフ・ファミリー”
アフガニスタンとイスラエル ― 中東の最前線でいま起こっている矛盾と葛藤を描き出した最新ドキュメンタリー2本が同時公開
2023年10月のハマス襲撃以降、悪化の一途をたどっているパレスチナ~イスラエル情勢。その恐怖と憎悪は伝搬し、レバノンやイランといった中東諸国にも拡がりつつある。その危ういバランスにある中東情勢を紐解く上で、イランの巨匠 モフセン・マフマルバフ率いる「マフマルバフ・ファミリー」が2本のドキュメンタリー映画を産み出した。 『苦悩のリスト』(監督:ハナ・マフマルバフ) は、2021年の米軍撤退を契機にしたタリバン再侵攻で、生命の危機に晒された約800人のアフガニスタンのアーティストや映画関係者の救出劇を描いたドキュメンタリー。モフセン・マフマルバフ監督とマフマルバフ・ファミリーが、限られた“リスト”を目の前に苦悩する過程をつぶさに捉えた本作は、2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のクロージング作品に選出。
『子どもたちはもう遊ばない』(監督:モフセン・マフマルバフ)は、イスラエルの古都・エルサレムを舞台に、長らく続くパレスチナ問題の深層を探るドキュメンタリー。映画のロケハンでエルサレムを訪れたマフマルバフ監督が、在イスラエルのパレスチナ系の住人たちを中心に様々な人々に出会いながら、相互理解の難しさと解決への一縷の望みを見出そうとするドキュメンタリー。2024年のプサン国際ドキュメンタリー映画祭でワールドプレミア上映され、イスラエル~パレスチナ情勢への危機感がさらに高まっていたタイミングということもあり、上映後は若い観客たちかが熱心に質疑応答に参加した。
シネマ・カメラからスマートフォンへ     
映画は何を描くべきか?何を伝えるべきか?
今、起こっていることへの“責任”を具現化した2作品
『サイクリスト』『パンと植木鉢』『カンダハール』等、これまで世界中の映画祭で評価を受けてきたモフセン・マフマルバフ監督。娘のハナ・マフマルバフ監督もまた『ハナのアフガンノート』『子供の情景』等で若い頃から評価を受けてきたが、父娘はシネマ・カメラからスマートフォンに持ち替えてこの2作品を撮り上げた。
これまでの重厚なフィクションとは全く異なる手法ながら、共にスマートフォンのみで撮影したフットワークの軽さと、映画一家が積み上げてきた確かな手腕によって、中東の複雑な情勢や感情を近距離で体感できる2作品が同時公開される。マフマルバフの“ヴィジョン”とあなたの“現在”とが密接に繋がるアクチュアルな映画体験を。
『苦悩のリスト』
The List
監督:ハナ・マフマルバフ
(『ハナのアフガンノート』『子供の情景』)
2023/イギリス、アフガニスタン、イラン/67分/カラー/DCP/英語、ペルシャ語
出演:モフセン・マフマルバフ/マルズィエ・メシュキニ/メイサム・マフマルバフ/ハナ・マフマルバフ
撮影:ハナ・マフマルバフ/プロデューサー:メイサム・マフマルバフ/製作:マフマルバフ・フィルム・ハウス
原題:The List
2023 プサン国際映画祭 正式出品/2023山形国際ドキュメンタリー映画祭 クロージング作品
2021年 米軍撤退~タリバン再侵攻
膨大なリストの中から、誰を助けるのか     
2021年、アフガニスタンからのアメリカ軍撤退を契機にタリバンが再侵攻を開始。国外脱出しようとする市民で空港はパニックに陥った。7月には全土を掌握したタリバンからの迫害や処刑等、生命の危機に直面したアーティストや映画製作者を救うための救援グループが発起。モフセン・マフマルバフ監督はじめファミリーも、約800人の「リスト」を元に各所への呼びかけしてゆく中、リストから人数を絞らなければならないという苦渋の選択を迫られる...。
現代の「シンドラーのリスト」が突き付ける残酷な状況を“家族のスマートフォン”で撮り切った緊迫のドキュメンタリー
空港周辺の市民たちがパニックに陥る中、遠く離れたロンドンで交渉に当たるマフマルバフ・ファミリーは電話やメールで対応しながら、刻一刻と迫るリミットと避けられない“選択”に感情を揺さぶられてゆく。その過程をスマートフォンで撮影した映像は、歴史的な緊迫した状況の記録であると同時に、家族それぞれの信頼と愛情を描き出すものだった。伝えるべきこととツールの機動性が合致した結果生まれた、最新系のポリティカルドキュメンタリー。
この映画は、まだ残された人々の命を救うための私の叫びです
ハナ・マフマルバフ 監督 ステートメント
2021 年 、アメリカ大統領がアフガニスタンからの撤退を突然発表したことで、タリバンは急速に勢いを増し、再び政権を握りました。数日後、カブールから国際軍が最終的に撤退すると、何百万人ものアフガニスタンの人々の生活は突如として悪い方向へと変化してしまいました。
一夜にして、過去 20 年間にタリバンに対抗する映画を制作してきた多くのアーティストや映画制作者たちが、最悪の敵の手の中にいることを知ったのです。即座に、俳優、作家、ジャーナリストたちの命が甚大な危険にさらさることになりました。有名人として長年メディアに登場していた彼らは、タリバンから隠れる場所を見つけることができませんでした。タリバンによる処刑や拷問の恐怖から、国内でより残酷な死から逃れようと、出発する米軍機の翼にぶら下がる者もいました。
アフガニスタンで何本か映画を撮り、この先起こりうる大惨事を予測した私たちは、800 人以上のアーティスト、ジャーナリスト、そして彼らの家族の命が差し迫った危険にさらされていることを知り、救出に乗り出しました。残された時間は 1 週間。私たちのチームは世界中のあらゆるドアをノックし、危険にさらされている人々の命を救うための国内外に協力を求めました。この映画は、アフガニスタンでの最後の数日間の一部を記録したものです。そして、まだ残された人々の命を救うための私の叫びです。
ハナ・マフマルバフHana Makhmalbaf
2021 年 、アメリカ大統領がアフガニスタンからの撤退を突然発表したことで、タリバンは急速に勢いを増し、再び政権を握りました。数日後、カブールから国際軍が最終的に撤退すると、何百万人ものアフガニスタンの人々の生活は突如として悪い方向へと変化してしまいました。
一夜にして、過去 20 年間にタリバンに対抗する映画を制作してきた多くのアーティストや映画制作者たちが、最悪の敵の手の中にいることを知ったのです。即座に、俳優、作家、ジャーナリストたちの命が甚大な危険にさらさることになりました。有名人として長年メディアに登場していた彼らは、タリバンから隠れる場所を見つけることができませんでした。タリバンによる処刑や拷問の恐怖から、国内でより残酷な死から逃れようと、出発する米軍機の翼にぶら下がる者もいました。
アフガニスタンで何本か映画を撮り、この先起こりうる大惨事を予測した私たちは、800 人以上のアーティスト、ジャーナリスト、そして彼らの家族の命が差し迫った危険にさらされていることを知り、救出に乗り出しました。残された時間は 1 週間。私たちのチームは世界中のあらゆるドアをノックし、危険にさらされている人々の命を救うための国内外に協力を求めました。この映画は、アフガニスタンでの最後の数日間の一部を記録したものです。そして、まだ残された人々の命を救うための私の叫びです。
『子どもたちはもう遊ばない』
Here Children Do Not Play Together
監督:モフセン・マフマルバフ
(『カンダハール』『パンと植木鉢』他)
2024/イギリス、イスラエル、イラン/62分/カラー/DCP/英語、アラビア語、ヘブライ語
監督:モフセン・マフマルバフ
出演: アリ・ジャデ/ベンジャミン・フライデンバーグ/アディ・ニッセンバウム/エルサレムの市民たち
撮影:シャディ・ジャミル・ハビブ・アラー、モフセン・マフマルバフ/編集:マルズィエ・メシュキニ/音響:ハナ・マフマルバフ/プロデューサー:メイサム・マフマルバフ/製作:マフマルバフ・フィルム・ハウス
原題:Here Children Do Not Play Together
2024プサン国際映画祭 正式出品/2024サンパウロ国際映画祭 正式出品
2023年 分断が極限化するパレスチナとイスラエル
憎しみと恐れが沸点に達した今、エルサレムの深層から見えてくる重大な真実
映画のロケハンでエルサレムを訪れたマフマルバフ監督は「長年続くイスラエルとパレスチナの紛争に解決の糸口はあるのか」を探るために、迷宮のような旧市街を訪ね歩く。街角に佇む老人、パレスチナ系ティーンのダンスグループ、ユダヤ系の若者等、様々な人々に出会ってゆく過程で、エルサレムに住む少数のパレスチナ系とイスラエルという国家の摩擦、そしてその根源的な問題が浮かび上がってくるのだが...。
旅行vlog的なフットワークの軽い映像から浮かび上がるエルサレムの日常から見えてくる紛争の根源とかすかな希望
2023年10月のハマス襲撃後の緊張感も見え隠れするエルサレムの街をさまよいながら、その迷宮の深層に潜っていくマフマルバフ監督の目には何が映るのか。気軽な旅行記のようなスマートフォンによる撮影にもかかわらず、確かな構成と映画的な探究心によって、エルサレムの重層的な複雑さと一方で若者たちが体現する微かな希望をそのまま描き出すことに成功した野心的ドキュメンタリー。
私たち映画人は、語るべき責任があるのです
モフセン・マフマルバフ 監督 ステイトメント
戦争が起きると誰のせいかと探し始めて、誰かのせいにして終わってしまう。ただこの戦争は70年近く続いていて、その傷を癒そうとするなら深く物事を観なければならないんです。人々は安心して暮らしたいだけで、そういう彼らの声を伝えたいからこの作品を作りました。中に入ってみると、憎しみはそれほど感じませんでした。アリだって18年も刑務所に入れられていたけれど、憎しみよりもマンデラの話をしたりする。私が出会ったのはそういう人たちだったんです。
日本の方々も、メディアで説明しているイスラエル~パレスチナ情勢はある程度知っているかと思います。でもその奥底に何があるのか、是非知って欲しい。イスラエルの中でも戦争をしたくない人たちがたくさんいます。それはパレスチナ系、ユダヤ系どちらもです。私たち映画人は、声を出せない人々の声になれればといつも思っています。この映画もそのきっかけになってくれれば嬉しいです。
パレスチナもレバノンの状況も大変ですが、そこで子供たちを殺そうとしているのはイスラエルの中でもマイノリティです。私はイスラエルのマジョリティ、戦争なんてしたくない普通の人たちを描きたいと思いました。何年後かに戦争が終わって「あの戦争には反対していたんだ」という人たちが出てくるかと思いますが、まさに今それを伝えないといけないと思います。皮肉なのは、戦争を起こすのは老人たち、実行させられるのは若者たち。しかし、未来は若者たちのためにあるんです。だから教育が大事で、だとしたらアーティストや映画の作り手である私たちの仕事は何か。私たちの仕事は戦争や争いを認めていない人たちのために、声を伝えためにあるのだと思っています。
モフセン・マフマルバフMohsen Makhmalbaf
1957年テヘランで生まれ。
10代半ばでイスラム主義に傾倒し、15歳で政治活動に参加、17歳の時に警察官を刺傷して逮捕され死刑判決を受けたが、4年半に渡る獄中生活ののち、1979年のイラン革命の際に釈放された。釈放後は政治から遠ざかり、1983年に『真の改悛』で監督デビュー。主な監督作品に『サイクリスト』(89年)、『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』(92年)、『サラーム・シネマ』(95年)、『ギャベ』(96年)、『パンと植木鉢』(96年)、『サイレンス』(98年)、『キシュ島の物語』(99年)、『カンダハール』(01年)、『アフガン・アルファベット』(02年)、『セックスと哲学』(05年)、『独裁者と小さな孫』(14年)等。『カンダハール』は2005年の『タイム』誌が選ぶ「ベスト映画100本」に選ばれている。
MAKHMALBAF FAMILY
マフマルバフ・ファミリー
イランやアフガニスタンを舞台に家族それぞれが監督を担う
国際的に高い評価を得た、イランが誇る映画ファミリー
『サイクリスト(89年)』『パンと植木鉢(96年)』等で世界的な評価を得ていたイランの巨匠 モフセン・マフマルバフ監督が1996年に設立した「マフマルバフ・フィルム・ハウス」。若い作り手たちの映画作りを支援するためのこの私設映画学校からはイランに限らず中東諸国の、個人と社会や政治との関係に主眼を置いた作品が数多く製作されてきた。マフマルバフ監督の妻、三人の子どもたちも続々と映画を製作し、家族全員が監督やプロデューサーとして活躍する映画一家として知られている。
上右:モフセン・マフマルバフ
監督作:『サイクリスト』(89年)、『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』(92年)、『サラーム・シネマ』(95年)、『ギャベ』(96年)、『パンと植木鉢』(96年)、『サイレンス』(98年)、『キシュ島の物語』(99年)、『カンダハール』(01年)、『アフガン・アルファベット』(02年)、『セックスと哲学』(05年)、『独裁者と小さな孫』(14年)等
上左:マルズィエ・メシュキニ(妻)
監督作:『私が女になった日』(00年)
下右:メイサム・マフマルバフ(長男)
「マフマルバフ・フィルム・ハウス」制作担当
下中:サミラ・マフマルバフ(長女)
監督作:『りんご』(98年)、『ブラックボード―背負う人―』(00年)
下左:ハナ・マフマルバフ(次女)
監督作:『ハナのアフガンノート』(03年)、『子供の情景』(07年)
Shohreh Golparian
企画:ショーレ・ゴルパリアン
イランやアフガニスタンを舞台に家族それぞれが監督を担う国際的に高い評価を得た、イランが誇る映画ファミリー
1992年、イラン映画の日本語翻訳依頼を受けました。それは、私が初めて日本語字幕の作業をした映画で、作品は『サイクリスト』でした。監督は、イランを代表する映画監督の一人であるモフセン・マフマルバフ。その当時、故郷を離れていた私も、彼の人気が高く、次回作を待ち望む多くのファンの存在を耳にしていました。『サイクリスト』が初めてイランのファジュル映画祭で上映された際には、何千人ものファンがチケットを求め、真っ先に鑑賞しようと長い列を作りました。
1996年の東京国際映画祭で、私はついにマフマルバフ監督と対面しました。その時までに彼の映画をいくつか観ており、彼の名声とキャリアについては理解していましたが、実際にお会いしてみると彼の穏やかで謙虚な人柄に驚かされました。それは、彼の強烈な映画作品とは対照的でした。
その出会いを通じ、私はさらに彼の作品と人柄に引き込まれました。その冬、テヘランで開催されたファジル映画祭に足を運び、監督や彼の家族と時間を共にする機会に恵まれました。当時7歳だった娘のハナは、映画『パンと植木鉢』に出演していました。マフマルバフ監督は、
他の父親と同じように娘の絵を見せながら誇らしげに称賛していました。後に、彼は家族や親しい友人のための映画学校を設立しました。
それ以来、イランを訪れるたびにマフマルバフ一家を訪問するようになりました。監督はいつも親切で、彼らの作品や次の撮影プロジェクトについて教えてくれました。

マフマルバフ監督は、突然現れ、その創造的な力で多くの人々を驚かせました。彼の最高の作品は、イラン国内で制作されたと言われていますが、彼がアフガニスタンを世界の象徴として描き始めた後も、海外で制作された作品は同じように魅力的です。彼は妻のマルズィエ・メシュキニ、そして娘のサミラとハナと共に、世界が無視していたアフガニスタンの現実を映し出しました。イランで培われたマフマルバフ監督の道徳的ビジョンと映画的言語は、アフガニスタン、タジキスタン、ジョージア、イタリア、イギリスといった新たな地にカメラを向けた後も失われることなく生き続けています。彼がどこで撮影をしても、常に人間の苦しみや、境界に閉じ込められた人々、痛みを抱えた人生を描き出していました。 マフマルバフ監督のカメラは、世界各地の声なき人々の声を伝える道具となっています。17歳の頃、彼は暴力によって世界を変えようとしましたが、その経験は映画『パンと植木鉢』に描かれています。その後、武器の代わりにカメラを手に取り、人道的なテーマを追求し続けました。マフマルバフ監督の活動は映画にとどまらず、優れた作家として多くの書籍も出版しています。彼の文章は、シンプルな題材を純粋で美しいアイデアに昇華させる力があり、豊かな表現力に溢れています。彼は社会学、心理学、人類学の知識を持つ知識人であり、常に周囲と知識を共有する教師でもあります。彼の家族全員が、映画制作だけでなく、困っている人々を助けるという彼の思想に深く影響を受けています。

マフマルバフ監督の映画は、どれ一つとして同じではありません。作品ごとに、新たなスタイルや影響を取り入れ、時には1つの作品内で対立するアイデアさえ探求し、その多様で複雑な知性が感じられます。そして今、彼はドキュメンタリー作品で私たちを再び驚かせています。しかし、テーマは変わりません。「声なき人々の声になること」です。
ショーレ・ゴルパリアンShohreh Golparian
映画プロデューサー、翻訳家、東京芸術大学大学院映像研究科客員教授。イラン西部ハマダーン生まれ。アッザーラ女子大学翻訳学科(英語・フランス語)卒業。
79年来日、在日イラン大使館の大使秘書などを務める。89年帰国し、イランで日本のテレビドラマや映画を多数翻訳・紹介。92年再来日、モフセン・マフマルバフ監督『サイクリスト(89年)』を皮切りに日本で公開されるイラン映画のほとんどの字幕翻訳にかかわる。世界を席巻するイラン映画の監督たちの通訳・アシスタントを務め、日本各地の映画祭でイラン映画を紹介、韓国・プサン国際映画祭では公式アドバイザーに。99年有限会社スモールトーク設立。日本で撮影されたアミール・ナデリ監督『CUT(11年)』のプロデューサー・監督補、アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ(12年)』、他多くの合作映画をプロデュース。 著書に『映画の旅びと イランから日本へ(21年 みすず書房)』。2020年「芸術を通じて日本とイランとの間の文化交流の促進に多大な貢献を行った」として旭日双光章を受章。